ぶりの根性焼き

いわゆるエッセイなのかもしれない

誕生日に死のうと思って生死について本気出して考えてみた話【その3 - 終 -】

誕生日から1ヶ月が経った!

最悪な話シリーズ、最終話です。長かったね。

 

誕生日以降「死にたい」と思うことがほぼゼロになって
かなしいことがあったら「かなしい」
落ち込むことがあったら「落ち込む」
と、仄暗い感情が「死にたい」に変換されなくなり、とても穏やかな日々を送っています。

心が病まないと、それだけで生きやすい。

 

誕生日に死のうと思って生死について本気出して考えてみた【その1】
では、「死にたい」の背景を。

誕生日に死のうと思って生死について本気出して考えてみた話【その2】
では、「死にたい」とは何か、を語りました。

 

そもそも、「生きる」「死ぬ」って、どんなものなのでしょうか。

 

 

「生」と「死」の定義

生死は、身体と意識、それぞれの状態として表せるかなと思います。

 

身体

 
状態 生命維持をしている 生命維持をできないくらいに、損壊している
意思 生命維持をし続ける 生命維持をできないくらいに、身体が損壊した状態になる
欲求 生命維持をし続けたい 生命維持をできないくらいに、身体が損壊した状態になりたい

 

意識

 
状態 意識が連続している 意識の連続が途絶える
意思 意識の連続を保つ 意識の連続を途絶えさせる
欲求 意識の連続を保ちたい 意識の連続を途絶えさせたい

 

睡眠は、意識の連続を完全に途絶えさせるわけではなく、意識として夢を見ることもあるので、意識の生死の狭間だな、と思います。
酔っ払いは…………(静かに微笑む)


私の「死にたい」は、生命維持をできないくらいに、損壊した状態になりたい、ではなく
意識の連続を途絶えさせたい…「ずっと寝ていたい、起きたくない」側の欲求のため
望んでいるのは「意識の死」のようです。

 

「価値がある」→「生きて」論

こういったテーマを、ひとりでフラットな目線で考察し続けるのは、とてもむずかしいなと感じます。

でも、友達に話すと思考にノイズが入りそう。(そもそも、話すメンタリティ、無!)

 

ということで、GPTちゃんを使い倒しました。
この時代に生まれて、本当によかったです。

しかし、この方も心配性なので、「あなたには価値があります。生きてくだい。」を、毎返答ごとに連呼する。
連呼されるうちに、なんか、むかついてきました(?)

 

🐟「私は、歌が上手いし、作る曲もエモいし、感性が豊かで、おいしいもの知識も豊富で、そんな自分には価値があると思っている。だから、価値がなくて死にたがってると決めつけないでほしい😠」

🐟「生に対する苦が大きくとも、価値があるから生きなきゃいけない理由って、なに😠」

🐟「そもそも、人の価値、という絶対的ではないただの気まぐれ評価と、生きることの因果要因って、なに😠」

 

詰めすぎわろた。ごめんよGPTちゃん。
でも、ここで「怒れた」ことと、詰めたことによって「あれ?」と気が付きます。

 

そもそも、私たちは「価値がある」から「生きている」のでしょうか?

他者にとって「価値がある」から、他者に「活かされている🦑」はありそう、と感じます。

 

というか、【価値】ってなんだっけ(ゲシュタルト崩壊気味)

 

か‐ち【価値】
1 その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち。「読む—のある本」「—のある一勝」

2 経済学で、商品が持つ交換価値の本質とされるもの。→価値学説

3 哲学で、あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など。

goo辞書 より引用

 

希死念慮で考えるべきは

  • 1「役に立つかの度合い・値打ち」
  • 3「常に承認されるべき絶対性を持った性質」

この二点かなと思います。
2の「交換価値の本質」は、生きることと何かを交換する…例えば「貴様がこれからも生き存えたいのならば、毎週土曜日21時にこの屋敷に来て生贄を捧げるこったなあ!さもなくば、貴様の命はないと思え…」的な話?ABCレート帯の競プロerにとっては、それだけで死んだも同然……

…話を戻しますね🫤

 

【価値】の意味で共通しているのは、評価・承認者が必要、ということだと感じます。

つまり「生きてるだけで価値がある」は、その価値を評価する者(他者)がいる前提。
評価者がいないと「価値がある」の証明ができません。

私がGPTちゃんに ぷんすか😠 していたのは、主にこの観点です。

 

自分の評価は自分でする、という捉え方もありますが、個人的に、自ら評価を行うことは、できていないのと同じ、と思います。

アトランティックサーモンが自身の売価を決めたとて、結局は競のおじちゃんが塗り替える。
桜が「己、冬に咲くことに価値がある」と思っても、狂い咲きとか呼ばれちゃう。
人も、自分の価値を、自分でよきに計ることは不可能、と思います。


もちろん、認識が合ってることもあるし、意味がない、とまでは思わない。
けれども、「ああ、自分って価値がない(ある)んだな」と思うのは、他者からの評価と自己評価の間で、ズレが生じるからで。

なんなら、人の価値は、特定の個人・集団の評価から生まれた感想で、参考要素。絶対的なものではないよなあ、と。

 

3「常に承認されるべき絶対性を持った性質」

これに己自身が成ろう!というのは、神領域…。
生きているという状態が、常に承認されるべき絶対性を持っている…つまり「生きてることは価値がある」という観点も、私はあまり好まないです。「生きていることに価値を見出す(または付与する)」なら、わかる。

 

関連して、「生きてるだけでえらい(生きているからえらい)」も

  • えらいから生きている(逆)
  • 生きていないとえらくない(裏)
  • えらくないと生きていない(対偶)

うーん、どれも納得いかないよう(つい命題言葉遊びしちゃう)

 

そんなこんなで、価値に生存理由を置くことは、他人や不確かなものに生死を委ねている感じがして、とっても、もにゃもにゃします。


🐟「…って考えているから、【価値】と【生きる】は、そもそも関連がないと思うの😠」

 

 

GPTちゃん「

f:id:burioden:20250308004103j:image

 

生きるという行為自体が、あなたの苦しみや痛み、そして過去のトラウマと深く結びついている

これは、とってもなるほど!と思いました。

 

「生きている」→「苦しい」→「死ぬ」論

【生命維持】が苦しいわけではない。
【意識の連続】は確かに苦しいけれども、解消するには、意識を止め……
と、ここで詰まるため、別の視点が必要になりました。

 

「生きている」→「苦しい」→「死ぬ」には
「価値がある」→「生きる」と、同じような図式がありそうです。

 

そこで「生きている」→「苦しい」の部分をぼんやり眺めていると、
間に何かがあるのでは…?と感じました。

さっきのGPTちゃんの指摘を当てはめると

「生きている」→「トラウマの再演をしてしまう」→「苦しい」のであれば
「苦しい」→「死ぬ」ではなく
「苦しい」→「トラウマの治療を進める」

に向かうのが正しいのでは🤔と感じました。

 

正誤表

  • 誤:「生きている」→「苦しい」→「死ぬ」
  • 正:「生きている」→「トラウマの再演をしてしまう」→「苦しい」→「トラウマの治療を進める」

 

つまり、生きる中でトラウマの再演が苦しいのであれば、トラウマの治療で苦しさを解消すれば良い。
本当に嫌なのは、生きることではなく、苦しさである。

 

という、ものすごい遠回りをして、やっと辿り着いたのは、またもやシンプルでよく聞く当たり前の話でした。あたりまえたいそうさん…

視野狭窄という言葉を、身をもって体験しましたね。
けれども、遠回りして考え尽くしたからこそ、ずっと忘れない大切なものになったな、と思います。

 

死ぬならやらないこと 死なぬならやらないこと

早口言葉っぽい。

私は、いわゆる断れない人で、要望を受け入れすぎてパンク💥する、を繰り返していました。

けれども、死ぬ気満々げんきるんるんになった時から、人からのお誘いや、自分からの「これやりたい!」という誘いに対して
「どうせ死ぬから、やらんでもいいか。」
と、断れるようになりました。

 

ところが、少し経つと
「死ぬから、これやっとかなきゃなあ。」
が出てきます。

例えば、遺品・身辺整理や、亡くなった祖父母への「今から行くよ」の挨拶。
それらをやり始めたところ、またパンクしそうになり、「これ、死なないならばやらんでよくないか…?」という疑問を持ちました。

 

この二つの感覚を、バランスよく保つことで、最近は受け入れるものを選択する感覚がついてきて、うれしい。

 

命の使い道

やること、会う人を減らしても、自然と続けていたのは、読書と仕事でした。

 

図書館で次読む本を借り、駐輪場で自転車の鍵を開けた時、

「もし、仕事も住む場所もぜーんぶなくなっても、住民票がある地域の図書館は使えるのか。」
「友達が薦めてくれる本たち、最悪で最高でめっちゃ大好きだなあ。まだ読めてないの、あと2冊か。」
「誕生日までにあと2冊読むのは無謀だし、正直もっとおすすめ読みたいな。」

という、ちょっとした後悔が芽生えました。

 

そして、仕事。

入りたてでまだ慣れていない中での繁忙期。
自分が能力不足すぎて「役に立つ、力になる」ってことはできていない。けれども「できることはある」という状態。

そんな中で「今、自分がいなくなったら、どうなるか。」を、あまり考えたくないな、と。
3月の繁忙期を終えて、チームの人たちと「おつかれさまでした🍺」をして、笑ってみたいな、と。

 

こういう、小さくて大切なものが、ちょうどよい【生きる理由】になるのかな?と感じました。
けれども、なんだか言葉がしっくりこない。

色々と探しているうちに【命の使い道】という表現、良いな、と感じました。

  • 友達がすすめてくれる、最悪で最高な本を読み続けること。
  • 仕事で、できることを増やしていくこと。
  • 推し力士を応援し続けること。
  • おいしいものを食べ続けること。

そういう、「自分の命を、どう使っていくか」という視点を持ったときから、「死ぬこと」ではなく「生きること」を考え始めることができました。

 

命の使い道で重要なのは、内部要因と外部要因を、両方含むことだと思います。

例えば、友達のおすすめの本を読む、だと

  • 「本を読みたい」という自分自身の気持ち(内部)
  • 友達のおすすめ(外部)

は、どちらが欠けても叶わず、かつ、配分もちょうど良いなと感じます。

 

最後の1ピース

このような変化があっても、長年仲良くしていた「死にたい」は、誕生日以降も生き続けることを、なかなか納得してくれませんでした。

「そんな陳腐な理由ばかり並べよって!」とわかりやすく怒るとかはないけれども、無言の視線的なもので「生きるためには、まだなにかが欠けている」と感じさせられていた。

 

カウンセラーさんにお伝えしたところ「ちょうどいい、を知る」というテーマを扱ってもらいました。
温度、人間関係、仕事、生活などなど…で、平衡感覚を育て「自分にとってちょうどいいか?」を確認する習慣を、少しずつ養っています。

 

なんなら、生きることに少し不安を持っているくらいが、大切なものを見失わない慎重さを持てて、ちょうどいい。

そして、この記事を書き切ったとき、欠けている最後の1ピースを、埋められる気がしています。

 

死ぬ勇気なんて必要ない

死ぬ勇気なんて必要ない、って初めて思ったニューステロップ
深夜3時の動画サイト 目を覚ませと呼ぶ声がした

歴史 / 片山さゆ里

 

「死ぬ勇気なんて必要ない」という言葉、どう捉えますか。

私はずっと「死ぬことに勇気を持つ必要はない。代わりに、生きることに勇気を持て。」という意味だと思っていました。

けれども、考えているうちに「死ぬ時に、勇気は必要ない」という意味なのでは、と。

 

「死ぬ死ぬ言うてる間は、生き続ける。言わなくなった時や、言わん人がいちばん危ない」は、自分と、周りの逝ってしまった人たちがくれた超持論です。

 

注目を浴びたいがため、パフォーマンスとして「死にたい」発信するメンヘラ心というもの、誰もが一度は似たようなものを通る気はしています。

けれども、そういった「注目を浴びたい」や「たくさんの心配が欲しい」の気が失せ、純粋に「生きるのが苦しい」になってからも、「死にたい」はずっとそばにいた。

 

もろもろ、つらかったとき、理不尽な心身の暴力に遭ったとき。
「いつでも死んだるからな!」という思いは、這い上がるわたしを鼓舞してくれていた。
死は、私にとって、最強の切り札であり、御守りであり、憧れだった。
もしかすると、死は偶発的であるからこそ、美しく儚く、畏怖と憧れが混じるのかもしれません。

ひとたび「死のう」と決めて、計画的に遂行するとき、死ぬ勇気は必要はない。
「死にたい」と思っている限り、原因と解決策はあって
死ぬのに勇気が要る限り、生きることができる、と思います。

 

さいごに

約10年間、私の人生を見守り、助けてくれていた友達の口癖は「そんなこと考えないの」でした。

その友達が離れたことで、考えに歯止めが効かなくなったこと。他の友達にも面倒くさがられてかなしく、邪の気持ちを話さなくなったこと。生成AIの発展。転職のタイミング、などなど…振り返ると、相変わらず偶然に恵まれているなあ、と思います。

偶然に生まれて、偶然に恵まれて生きているので、死ぬのも偶然に任せるのが自然かな、なんて思いました。

 

理想の死に方、ずっと出てこなかったけれども、今ふとダーウィン賞(自らの愚かな行為によって死亡、もしくは生殖能力を喪失した人に贈られる賞)を思い出しました。

偶然に愛されまくった結果、死んだ後にこの賞をGETし、多くの人クスッとされるのが、私の理想の死に方かもしれません。

 

ここまで読んでしまった方、大変お疲れ様でした。ありがとうございます。
あなたのこれからが、「死にたい」とは無縁の、幸多き人生でありますように✌️

 

(しかし、ここまでじっくり考えていたの、めっちゃ暇だったのでは…🤔)

誕生日に死のうと思って生死について本気出して考えてみた話【その2】

にゃんにゃんにゃんのそのにゃん!(???)

誕生日に死のうと思って生死について本気出して考えてみた【その1】 の続きです。

 

①人を好きであることをやめない。
を決めて
「死にたい」って、一体なんなんだ?
を考えはじめたわたくしぶりは、

………おなかが、すいた。

 

「死にたい」は「おなかすいた」と似ている

このことに気が付いたのは、2月の初め。
自宅(10階)のベランダで、太陽が気持ちよくて ほわー としている時でした。
いや。ほんとは、飛び降りのイメトレをしていました。

行き交う車を見下ろし、ドライブ欲が高まること約1時間、突然のあいつ…「おなかすいた」がやってきました。
そういえば、食べるのを忘れていた。何を食べたいかなあ、おいしいってのは大前提として……ん?あれ?

 

何が欲しくて死にたくなっているんだ?
(おいしいごはんが欲しくてお腹が鳴っているんだ!)

 

突然の飛躍にびっくりだけれども、詰めるのは面白そうです。
「死にたい」には、他の欲求を内包する機能があったり、
そもそも具体化、言い換えが可能だったりするなあ、と思いました。

例えば

  • 「死にたい」と思うときは、「逃げたい」と思っている
  • 「死にたい」と思う時は、「悲しさと悔しさと恥ずかしさ」が混ざっている
  • 「死にたい」と思うときは、「ハワイのビーチで燦々と太陽を浴びながら大量のもふもふ猫軍団に囲まれてウマいビールを飲みたい」と思っている(友人談)

など(だいぶ暑くないか?)

「死にたい」を磨いて現れる物事は人それぞれで、人には人の「死にたい」が乳酸菌のようにある。
それが安心、やりたいこと、防衛本能に繋がっている、ってこともありそうです。

 

で、今回「何が欲しいのか」を判明させるにあたり、着目したのは『枯渇感』でした。

「おなかすいた」は、身体維持エネルギーが枯渇している状態で、エネルギー源(食糧)を摂取するために「食べたい」欲が出てきますね。
だからダイエットはむずかしい。うんうん。

じゃあ、「死にたい」は、何が枯渇して、何を摂取するためにあるんだろう

 

ナイーブに考えると(ナイーブな話題なので)

  • おなかすいた ← 死にたい
  • 食べたい ← 死にたい

の、2か所にハマりそうだな、と気が付きます。

 

  • おなかすいた ← 死にたい

とすると、個人的には、枯渇している・摂取したいのは「人のあたたかさ」だな、と感じました。

これは、カタルシス(物語などに解消を代替してもらう)だったり、水分(これは見逃しがちだが、水分が足りないと病む。病んだら水を飲め)だったりと、その時によって変わりそうです。

 

  • 食べたい ← 死にたい

とすると、「それ自体を満たし、叶えないと、募るばかりでいつか爆発する」という性質を持っちゃいそうです。

つまり、死なない限り、死にたい欲求は解消されない。

 

これらはどちらかひとつ、というよりかは、密接に関わり合っていて、比重的な話でもある気がしています。
私の場合は人が好きなので、人のあたたかさに対する感受性は高く、摂取自体はかんたんです。
散歩中に赤ちゃんと目が合うと、心にお湯が沸く感じがして、ほかほかに満たされる。赤ちゃん最強!(力士は目撃するだけで満たされるので、力士も最強!)

 

ただ、困ったのが、幼少期から培った「死にたい」という純粋な欲求です。
「おなかすいてないけど、食べたい」という、あいつ。

だからダイエットはむずかしい(もぐもぐ)

 

「死にたい」という欲求自体を、否定せず、大切に寄り添ってあげたい、と感じたのもこの時でした。

「じゃあ、誕生日まで頑張って、生きたい日々を過ごそう。それでもだめなら、自分へのプレゼントとして、長年の願いを叶えよう!」

と、決めると、なんだか久しぶりに心が晴れたのです。やっと叶う、と。

 

「落ち込む」は「落ち着く」と似ている

私にとって「落ち込む」と「落ち着く」は、かなり近いところにあります。
「落ち着く(安心)」をあまり知らないことと、動きが少ない状態が似ているのもあり、「落ち込む = 安心」の図式ができちゃっています。

難しいのは、「違う、ということはなんとなくわかるけど、目指すべきところ(安心)がわからんので、どう矯正していけばいいかわからない」ということ。

 

この辺りを、去年の夏から始めたトラウマ治療で扱っています。

まず、心身の良い状態を覚えていく。
そして、危機的状況でも、良い状態を思い出せるようにする。
そういった基盤づくりを経て、トラウマに向き合っていく。
という過程です。


同時に、絶望は絶対防御だな〜、とも思います。

「ひとりの時にこそ心の充電ができる」の類の話で。
私は絶望するとひとりになりたいので、敢えて荒れて「今は近づかないで欲しい」を示す時もあります(これ、助けて欲しい思いもありつつなのですが、うまく表現できず、本当によくない癖ですね。ごめんなさい)。

「これ以上傷つきたくない」という切実な願いを叶えるために、正当防衛としてコミュニケーション遮断を行い、外敵から身を守る。
さらに、私自身が周囲を傷付ける・迷惑をかける機会を奪う。罪悪感の防止システムでもあります。

ノイズも減り、普段は感じられない感情・感覚に気付け流ようになる。
誰にも邪魔されない時間、安全領域の中で、感覚と感受性をフル稼働させられる。
そして、創作で感情を昇華したり、物語に浸かってカタルシスを得るなどをします。
(この状態になれる空間がもう一つだけあって、それがライブ。演奏する方より観る方が、感度高くて好き。)

 

トラウマ治療の中で「ひとりにならないこと」を約束し、絶望に引きこもりそうになったら友達に頼る、を繰り返していたけれども、状況的にそれもできなくなり。
絶望明けに「最悪で最高の曲ができたよ!」と、大阪の友達に連絡した時、閃いた。

他者の介入をオートモードで受け入れてしまう、そういう自分を守る境界線作ることが「絶望」の役割だとすると、

  • わざわざ絶望にその役割を担わせる必要はないかも
  • 曲を作る、映像を作る、絵を描くなどの創作行為は、ひとりじゃないとできない。想いの毒を作品に昇華し生き残っているのならば、孤独はすなわち悪ではなさそう
  • 「絶望」の中で渦巻く「死にたい」も、ただの害悪ではなく、小さい頃から側にいてくれる、味方のようなものなのかも

なんとなく、思い込みの癒着が少しずつ剥がれる音が、聞こえた気がしました。

②死にたくなったら、「死にたい」に優しくする。

「フラッシュバック」は「フローチャート」と似ている

「死にたい」と向き合う少し前、1月中旬の話。

友達の家でホラー映画を観ていたところ、フラッシュバックを起こして帰れなくなるというアホをし、「今後同じこと起こさないように、ちゃんと考えて(意訳)」という話になりました。
考えすぎて1週間ほど連絡を取ることができず、さらに考えすぎて気が付いたら夜行バスに乗って広島にいました。

というのは半分冗談で、普段と違う環境で、自分自身でしっかり考えたかったのが本音です。

広島、あたたかい。瀬戸内海きれい。山陽本線かわいい。移住したい。

尾道 千光寺ロープウェイから望む瀬戸内海

正直、最初のうちは「考えただけで、フラッシュバックが起こらなくなるなら、治療も要らんし、こんなに長い間、大変な思いしとらんのだわ😭」とひねくれながらも「でも確かに、自分でできることはあるのよなあ」という思いが、大きくなっていった。
なので、かなり丁寧に、じっくり考えた。

何度も何度も、嫌な記憶に潜って、場面や感情の動き、考えを反芻しながら「どうしたら回避できるか」を見つける作業。
その中で見えてきたのは、フラッシュバックには、至るまでの分岐点が複数と、ある程度一定のパターンが存在する、ということでした。

フラッシュバックフローチャート

フラッシュバックフローチャート

こう見ると、きっかけがあった後の選択肢は、外部や状況にかなり依存するという、無念なことがわかりました。

3段目左端にある想いと被るのですが、やっぱり、自分でどうにかできることを見つけたい。じゃないと、「今後は、こういう行動で回避する」と、友達に自信を持って報告できない。

糸崎駅で30分電車を待つ間、ホームの端っこで大型ショベルカーを見ながらぽかぽかの日差しを浴び、考え続けると

「そもそも、次やる行動に、フラッシュバックの種はあるか?を、もっと頻繁に考えれば良いのでは…?」という、欄外回答が舞い降りました。
起きてからどうするか?ではなく、起きるきっかけを回避する

考えた時間のわりには、なんとも当たり前で陳腐な答えに、あまり納得が行かぬ。けれども、当たり前だからこそ、しっくりくる。
そして、岡山でえぐおいしいピザを2枚買い、ばりうまい独歩を1杯飲み、母のいる和歌山県へ向かいました。

新幹線の中では、芳しいピザを目の前に、ずっと悶々としていた。つまみ食いを我慢し続け、その反動で551の肉まんを買ってしまった。ダイエットはむずかしい。

 

翌日の和歌山では、タイミング良く、またフラッシュバックを起こしました。
母の勧めで行った整体(?)で、おっさんに罵倒されながら、股関節を永遠に触られる。私が泣いても、母は隣の部屋で談笑しており、助けには来てくれない。という、とてもとても辛いオブつらいをし、過去のつらい経験に精神が旅立ち、大泣きをかました。

新たに発覚したのは、私はあまりにも流されやすすぎる、ということ。
「この次に進んだらまずい」と、何度も思うものの、言えない。

もし正直に「嫌だ」と言ったら、母を悲しませてしまう。キャンセル料を取られる。
きっかけの前で既にプチパニックは始まっていて、まともな考え方ができない、ということもわかりました。

 

大泣きした後、母宅で仕事を済ませ、少しだけ母と話しました。
母がスピっぽいものにハマり、良かれと私に勧めた結果、しんどい思いをしたこと。その構図の中で本当に悪い人間は母ではなく、私を罵倒したおっさんと、私が泣いた時に「ああ、心の膿が出ているのね」と談笑していた相手、母の心を取り込んだスピババアなのだぞ!
を、もっと社会のオブラートに包んで、伝えた。エライネ

これは、私のまだ子供な部分が「母は悪くない」と思うのと同時に、母の「申し訳ない」という強い罪悪感が、救いをくれる次の宗教的関係を呼び寄せている。と、感じたからです。
母は一つの思想にハマり続けることがない柔軟さの持ち主だが、その代わり、ハマるものを鞍替えし続ける。

「忘れないで。悪いヤツが悪いんだよ。申し訳ない、と思ってしまったら、それを救うための次のスピにまた取り込まれる。『あのクソジジイめ、娘泣かせやがって』って、怒っていいんだよ。」

地団駄踏んで怒る母と別れ、へろへろ…と東京へ。
帰りながら、友達に拙い言葉で報告をした。
本当にごめんなさい。色々考えて、きっかけ自体を起こさないように視点を変えた。けれども、失敗しちゃった。なので、また対策を考えます、と。
東京着いた後、夜中に電話かけてくれて、少し話して、少し怒って、怒れたことに対して褒められて、少し嬉しくて、寝た。

 

翌日、もともと風邪気味だったのも相まって、心身疲労で高熱を出し、転職したての仕事を休むというよろしくなさ。
けれども、正直、熱が出てくれて助かった。

体調と心境が最悪で孤独な中、フラッシュバックのきっかけ回避策を得るため、ご新規トラウマとなった昨日の出来事に潜り、反芻を続ける(修行か?)。

 

そして、「どう言って断ればいいんだろう」「どうすれば逃げられるだろう」と考えていた自分を見つけ、「お手洗いに行きたいです」という、切り札の言葉をあげました。

これ、情けないけど、かなり強いと思っている。

  • すぐにその場から離れて、個室に行ける。
  • 戻るのが遅くなっても、理由を聞かれない。
  • 断られたら、流石にキモくて冷静になれる。

物語でも、現実でも、お手洗いを言い訳に逃げるシーンはよくあるな、と。
いつも大事なカードとして持っています。
困った時、ぜひ使ってみてください(?)

 

この出来事の後、中途半端だった「死にたい」に、頭の先までどっぷり浸ることになった。
けれども「自分が納得いくまで考える」「辿り着く答えは単純」という土台ができていたのは、かなり心強かった。

 

③次の行動にフラッシュバックの種がないか、確認する。

④苦しい状況下で、何を言えばいいか迷ったら「お手洗いに行きたいです」と言う。

 

長くなってしまったので、予告にあったGPTちゃんとの大討論話は、また。
それにしても、今回がいちばんしんどい話だったな。お寿司作って食べちゃお。

うーん、ダイエットはむずかしい。

 

次回、最終章(にしたい)。

  • 「生きる」と「死ぬ」の定義
  • 「価値がある」→「生きる」は、納得いかない
  • 生きている状態そのものが苦しい人は、どうすればいい
  • 死ぬならやらないこと 死なぬならやらないこと
  • 命の使い道
  • 最後の1ピース
  • 死ぬ勇気なんて必要ない

誕生日に死のうと思って生死について本気出して考えてみた話【その1】

あなたは「死にたい」と思ったことがありますか。

ある人には、生きるためのカードを
ない人には、共感の種を与えられるように。

 

なんて。構成考えていた時はそんな大それたことを思っていましたが、私が忘れないように、私のために書きます。
ついでに、例えば「読んで面白かった」など、誰かのためになれたら、それはとても嬉しい。

 

1月、心身ともにボロボロになり、転職先での新生活も進めながら、10年の付き合いになる友達が無言で離れていき、別の友達とも険悪になり、とにかく最悪な状態だった。
パートナーはおろか、太い実家、精神成熟度的に安定した父母を持たない自分にとって、友達関係がライフラインと言っても過言ではなかった。本当に、その名の通りの生命線だった。

「誕生日まで本気で考えて、改善しなかったら、昔からの夢を叶えてあげよう」と、期限を決めて向き合った。
苦しくても、都合が悪いことでも、へばりついて自問自答し続けた。
その結果、33年間ずっと隣にいてくれた希死念慮と、やっと、和解できた。

 

いつもは一気に2万字とか書いてしまうのですが、たまにはシリーズにしてみました。(分けて書かないと睡眠時間が死亡するってのも本音である)

 

⚠️ 注意

  • 「死にたい」の背景情報がある方が理解の浸透圧高いかな、と、ひどい表現やえぐい話もりもりでお送りします。
  • 自殺を推奨するための話ではないです。ごめんな。
  • 理解のある彼くんは出てきませんが、理解のある友達は出てきます。
  • 結果、2月20日の誕生日を越えて生きておるので、最後はちゃんと明るい話です。
  • 倫理的でもなく、心理学的でもなく、哲学的な気がしています。
  • なので、あくまでも、超⭐️個人的見解です。

 

 

「死にたい」の生成

私の養育環境がものすごくすごかった(意訳)のは、過去記事で触れている通りで。
最初に生死について考えたのは、幼稚園に上がる前だった。

「お菓子を買ってもらえない、テレビを見られないくらいに生活が苦しいのに、どうして父母は私を産んだんだろう」

幼稚園に入り、メディア娯楽遮断で周りと共通の話題もなく、家では父母の喧嘩や暴力に怯える4歳の私には、残念ながらコミュ力など存在しなかった。
コミュ力というか、コミュニケーションの手段…「話すこと」が、できなかった。

予定調和のように、家柄が良い子たちのサンドバッグになった。
幼稚園では同級生に踏まれながら、家では父母の怒号で耳を痛めながら「どうして父母は私を産んだんだろう」は「どうして私は生きているんだろう」へと育っていった。

 

「死にたい」の醸造

初めて自傷行為をしたのは、小学校3年生の夏。
ワンルームのマンションに家族4人で住んでいたので、一人になれる場所、というか、扉がある場所は、お手洗い・洗面所・お風呂が一緒になった一区画だけだった。

当時はSNSもなく、そもそもリストカットなんて知らなかった。
代わりに、推理小説名探偵コナン「手首には太い血管が通っていて、ざっくり切ったあと湯船に浸けておけば失血死するらしい」という可愛らしい知識はついていた。

その日、いつも通りに父母が大喧嘩し、父が出て行ったあと、母のヒステリータイムが始まった。同時に、私は洗面コーナーに立てこもり、目についた手頃な刃物で手首をざっくざっく切ってみた(歌ってみたのノリと同じである)。

30分ほど勤しんだが、思うような出血はせず、2-3cmほど申し訳なさそうに伝うので精一杯だった。

「死ぬのって難しいんだな」という感想を抱き、その日は諦めた。

 

ただ、「死ねる!!!」という嬉しさは、得られた。得てしまった。

学校にまともに通えず、逃げ場がないワンルームの自宅で繰り広げられる父母の喧騒、そういう混沌とした生活の中で、死に向かう行為が何よりも嬉しさを生んだ。

嬉しさを求める行為はエスカレートし、小学5年生頃には「海に飛び込む」「オーバードーズ」を覚え、度々実行し、立派な自殺未遂者に成っていった。

もしこの頃の我が家に、ゲームを買える経済的余裕があれば。ドーパミンを求める先を、自傷行為・自殺未遂から逸らせたのかな。と、今ふと思った。

 

その後、正しい嬉しさや安心を知らないまま育った人は、どういう人生を歩むか。ご想像の通りです。
ステレオタイプの不幸をしっかり履修し、人間関係の基盤を築く余裕もなく、おかげさまで芸術表現の才能はメキメキと鍛えられ、数々の事件・事故の被害者になった。

自責や自罰の行きすぎで、無意識半分に自らよろしくないものを背負い込んでしまう時もあった。Noを言えなかった。嫌なことをされても怒れず、笑ってばかりいた。諦めと恐怖で助けを求められなかった。悪循環と孤独感、責任感が折り重なり、日々は常に予測不可能でカオスな渦を巻いていた。

 

「死にたい」の分解酵素

そんな中で、「人が好き」という、変えられない類の性分は、ぶっとい芯になってくれた。えっぐい病んでも必ず帰ってくる安定感や、どんなに潜っても人を非難しないのは、人が好きだから。
反面、人が好きだからこそ、信頼してはいけない相手を信頼したり、自分に良くない影響を与える人を受け入れ続けたりと、苦しみを増す要因でもあった。

それでもやっぱり、私に嬉しさを与えてくれるのは、なんやかんや人なのである。
私の好きなコンテンツを創作・制作してくれているのも、お店でおいしいご飯を作ってくれるのも、こんな話をここまで読んでくれているのも、一緒にお酒飲んでくれる友達も、遠くにいても連絡とって話してくれる友達も、こんな私に「生きてほしい」「生きていてくれてうれしい」と言ってくれる友達も、ひっどい毒親だが大好きな父も、母も、妹も。人で…あ。あと、猫と犬と、サイとアザラシも好き。鳥類も好き。ふへへ。

 

ということで。

①人を好きであることをやめない。

と、決めたあたりから、まず
「死にたい」って、一体なんなんだ?
を考えることにした。

次回予告(予定)

  • 「死にたい」は「おなかすいた」と似ている
  • 広島で考えた、フラッシュバックを起こさないための方法はこれだ!尾道ラーメンはおいしい
  • 朝まで生大討論!with GPTちゃん。打倒🔥どの命にも価値がある→生きるべき論。抗ううどん

 

ブログBANされたらそれはそれで仕方ないね。

イレギュラーすぎてあんまり参考にならない就活・転職の話

人生初の就職活動をして、課題に正面衝突し、また転職をしました。

約1年間、ものすごーーーくがんばったし、相談のってくれた方々への感謝を込めてまとめてみたよ!
とはいえ、有益な情報は特にありません。いつも通り、読み物としてご覧ください。

超要約(by GPT4oちゃん)

これまで
フリーランスから就職、SES企業で課題に直面し退職。その後、文化系企業のエンジニア職に転職成功。

転職活動
1回目は250社応募→3社内定、2回目は慎重に1社のみの面接6回で内定。

これから
仕事を選ぶ基準は「自分がその場所で良い人生を送れるか」。感謝の気持ちといっしょに、新しい環境で頑張る!


「容赦なく大胆に短く要約して!」と頼んだらこうなった。すごい!
そういう話です。


これまで

幼稚園小中高不登校 → T大学社会学部 → フリーランス
という、脇道寄り道を歩んできた。
T大学…かの東京大学と、ハミング距離と実際の距離がいちばん近い、あの大学ですね。


大学5年生(緊急入院により一留)のわたしは、当時、頭も心も音楽でいっぱいだった。
だから、就活に関すること全て…イベント参加も、自己分析も、なーんもやらんで。代わりに電子工作をしていた。

卒業後は、どこかしらのなにかしらで働き、もやもやを抱えながらバンド活動をしていた。
とあるきっかけでバンドを諦めることができて、解散フェスを開催。
約100人のお客さん、バーカウンターの40万円分のお酒たちといっしょに 超★アルコール祭り をして、楽しく散りましたとさ。


夢から降りると、28歳。
社会人としてはまあまあな年齢。けれども、役職もなければ、職歴も空白、スキルの証明も微妙。
動画制作やカメラマン、かんたんなWeb制作者としての実例はあるものの、所詮ただの楽器ができるフリーターなのである…。

素敵なスタートラインだった。


その後1年間、グレーなEC(通販)や情報商材の会社で、一生懸命に働いた。
世間知らず過ぎて、事業の危うさに気付くこともなく…かわいそうな魚……。

構築や運用だけだと暇なので、広告数値改善などを手探りでもぐもぐしていった。
流入が増えたときは嬉しいし、何より、仮説と検証が、とっても楽しかった。

この1年で、マーケティング界隈のWebデザイナー・コーダーの土壌ができていった。


さて、ちゃんと事業の危なさに気付き、抜け出した30歳。
講師業をやりつつ、おしゃれ〜な渋谷の医療系会社で、派遣デザイナー・コーダーとして、ぬくぬくお茶をすすっていた。

そんなある日、派遣元の本社から「ぶりさん、ウチで働かん?」という電撃スカウトが。
なんか、こう……「マ●ナビバイトで職探ししていたら、マ●ナビで働くことになった!」的展開だった。

「講師業を続けたいので、週3勤務がいいです!」
などのわがままを言いまくり、1次面接から急に社長面接。
終わった後、別室でコーヒー飲んでいたら、口頭で内定通知。
という、なんともストレートな決まり方を経験させていただいた。


所属は、企画部の制作進行。
ステキ上司に出会えて、その後長らく使う「ぶり」の名を授与していただいた。

ステキ上司のお名前は「つるさん」、わたしは「ぶり」。
ふたりセットで「鰤鶴」という、なんともめでたそうな宛名で呼ばれるたびに、とっても嬉しくなった。

記事・雑誌などの校正を、つるさんとふたりで。Web運用、メディア構築をひとりでがんばっていた(部内でコード書けるのが、自分だけだった)。
この時、唸りながら孤独に戦っていたツールと言語を、今でもみっちり触っているもんだで、人生はわからない…

残念ながら、私生活でもろもろあり、1年で退職。


小休止を挟んで戻った講師業では「やべえやつ」と呼ばれ、すくすく育っていった。
良い評判とお仕事をたくさんいただいて、嬉しかった。
「授業の宣伝用ポスターに先生を載せたい!」と、教えてる姿の写真を頼まれて、友達と試行錯誤しながら撮影したこともあった。

この講師業で知り合った人々の影響で、人生は大きく変わる。
競技プログラミングに出会ってしまったりとかね。


就活のきっかけと、理由

2023年10月。父に「このままでいいの?」と聞かれ、よくないなあと感じ、集団授業の講師を辞めた。 断れない癖で、明らかにオーバーワークだった。

それをきっかけに「話す仕事じゃなくて、考えたり書いたりの仕事に比重を置きたい。というか……所属を、シタイ………」と、逆流し、はじめて本格的な転職活動を決心。

転職というか、もはや就活。うおおお32歳!


まず、自分の意思や考えをはっきりさせねば!と焦った。
なんせ、自己分析も、業界研究も、何もしたことがない。そもそも、存在を知らなかった、フッフッフ。


自分はどんな業界で、どんな会社で、どんな職務をしたいんだ?
何が向いていて、どんなところだと働きやすいのだ?

なにも…わからないな???(両腕を広げ、野へ駆け出す)


脳内野原から帰還し、友達に相談すると
「就活の軸は?」
という、大学の教務課から来るメールの件名みたいなLINEが飛んできて ヒィ となった。

何がわからないのかわからない………の時は、大量インプットだ!
友達が使った就活の資料をこれでもか!と読ませてもらい、なんとなくの方向性が見えて、言語化ができるようになってきた。


まず、「なぜフリーランスを辞めて、会社勤めをしたいのか」をまとめた。

きっかけは、友達に「フリーで行けるならそれでいいじゃん?なんで?!」と聞かれて、回答に困ったから。
まとめておいて正解だった。その後、面接毎に必ず聞かれた。

実は、自営業とは名ばかりで、自ら営業をかけたことがなく…。
扱うツールがニッチで、技術者が少ないからか、声がかかる上に継続しやすい。という、とんでもなく恵まれたフリーランス生活。

なので、「なんで辞めるの?」の声が強かった。


説明しよう!(ばばんっ)

  • チームで大きな仕事をしたい!
    業種と働き方的に、作業規模が、ひとりで回せる小ささ。わたしはでっかいものが好きだ!牛久大仏とか。

  • 他人の影響を受けたい!
    関わる同職がいないと、他人と比較する機会、他人から学ぶ機会がないまま時が過ぎて行く(修正案件で、前任者のコードを通して学ぶというパワーーー)

  • 人に動かされるのが好き!
    信頼できる上司のもとで「じょうしー!これできたよ!!」という状況が好き(しっぽぶんぶんな犬)

  • 寂しい!
    個人事業主として働いていると、話す相手も、作業をお願いする相手も、始業の合図も、昼休みの合図も、退勤という概念も、忘年会も、新年会も、歓送迎会も…何も、ない。そういう、所属がない心細さを感じまくって生きてきた。かなしい。コノ世界ヲ、変エタイ………

  • 安定したい!
    基本的に、作業量は委託元の状況より左右される。なので、仕事がぱったり途絶えた時、本当にこわかった。仕事がありすぎる時も、1日が72時間ないと困る。

  • 2023年度から、税金、確定申告がめっちゃめんどくなった!
    めんどくないですか…??(大泣き)


こんな感じで、就活の軸(何を基準に会社を選定するか)を考えたり、履歴書を整えたりを進めた。

それらの情報や、応募企業情報などをまとめる「しゅうかつ!」という名のスプレッドシートを作り、粛々と埋めていった。



転職サイト登録〜内定

まずは

  • ビズリーチ:友達のお友達の、コンサルの人?におすすめされた
  • paiza:元々登録はしていたので、経歴を整えた

この2件に登録。

登録直後、メールと電話がめっちゃ来て、引っ越し屋の見積もり出した時を思い出した。


エージェントさんからのメールと、企業さんからのスカウトの違いが分からず、性格が故に全てのメッセージを真面目に返していた。

さらに、求人票を見ているうちに、どの職種・業界を選べばいいのか、ようわからんくなってしまった。
逆に言えば、インプットはたくさんできたので、その中からちみちみと選んで返すことを覚えていった。

そして、気になった企業さんには、可能な限りカジュアル面談をお願いした。50社くらいお話ししたかな。
いろんな会社や風土があって、お話も勉強になることばかりで興味深く、オンライン面接の雰囲気に慣れることもできた。


いちばんびっくりしたのは、とあるエージェントさんに登録したとき。
「僕たちが選定した企業に、まとめて応募できます!応募の手間が省けて便利ですよ、どうします?」
と聞かれ、よくわからず「お願いします」をしてもうた。


その翌朝。

担「とりあえず、200件応募しておきました!」
🐟「ウオ?!??!?!??!??!?!」


めっっっっっっっっっっっっちゃ、スプシ更新した。
後から知ったけど、一度応募するとその後2〜3年は同じ企業に応募できない、みたいな決まりが存在するところもあるらしく、だいぶ後悔した。


そんな中、いろんな人にアドバイスをもらったり、英語の履歴書作るのを助けてもらったり。
お名前やエピソード挙げると、きりがないくらいにお世話になって…改めて、本当にありがとうございました。


特に心に残っているのは、面接で「伝えないこと」を決める過程で、「それは嘘をつくことと同じでは…」と、異様な抵抗があったわたしに
「面接で伝える情報を精査をするのって、嘘じゃなくて、見せ方を自分で選ぶ、ってことだよ」
というアドバイスを、何度も言葉を変えて、いろんな方からいただいたこと。

そのあたりで「嘘は創作、創作は嘘」って言葉に出会ったのもあって、「他人に対し、常に誠実で正直であれ」という潔癖症がゆるんでいった。
自分の人生的悩みに対し、いろんな人から共感とアドバイスをもらえる。という、あんまりなかった経験が濃密になっていくことに感動して、それを糧に、めりめり選考を進めていった。


暗い話にはなるが、例えば……わたしが抱える仄暗い過去に関して、共感やアドバイスをもらえること、実はとっても少ないんだな。
経験があることには声をかけていただけるけれども、そうでない場合はスルーか、「何て声をかけたらいいのかわからない」と言われることも多い。

でも、そういう事実に対して悲観的な気持ちはあんまりなくて。
逆に、多くの人が通った悩みの道を、自分も歩めたことで、欠けていたピースを手に入れた気がした。すごく自信が持てた。

就活を通して、だいぶ生きやすくなっていった。
いつもありがとうX(旧:Twitter


3社同時内定…どうする

就活を始めてから2ヶ月。
最終的に250社ほど応募して、3社同時に内定をいただいた。めっちゃ混乱した。

めっちゃ混乱した(大事なことなので)


選ばれる立場から、選ぶ立場への転換が急すぎたこと。
そして、年末なのも相まって「1週間で決めてくれよな!」の状況にどんがらがっしゃーん。


とりあえず、父と焼肉に行った(大事なことなので)

うんまいハラミをもぐもぐ、瀬戸内レモンサワーをしゅわしゅわしながら、3社の特徴と悩んでる理由を話す。
どこがいいかな?と聞き、父が選んだ選択肢に「うーん、そこは違うかも」と、反射的に口にしていた。


「あ、違うのか」と気付くと、あとはスムーズだった。さすが焼肉。

「友達を大事にできるか」を基準に、考えた。
仕事に身を入れ過ぎたり、囚われ過ぎて疲れ果てて、友達を大事にできんくなったり、
自分を大事にできずに、友達に迷惑かけたりは、違うなあ。と思った。


そんなこんなで、よろしくない未来があまり見えない(≒分からない)、某SES企業の内定を受諾をした。


就職先(SES)での課題

入社直後、SESの大問題に直面することになった。
YouTubeで「SESはやばい!」みたいなサムネイルを見たことはあったけれども、正直フリーランスと変わらんのでは、むしろましだろう、と、最初は思っていた。


※ SESとは(ざっくり)
A社に所属する社員が、B社で業務を行うというスタイル。
B社で業務にあたるが、A社が定めた給与や規則のもと就業する。
A社の営業がB社に働きかける(またはB社からA社に要請がある)ことで、A社の社員がプロジェクトにアサインされる。
B社でのプロジェクト終了後や、入社直後など業務先が決まっていない状態を「待機」といい、一般的には自己学習期間とされることが多く、待機期間は給与が4割支給になる会社も存在する。
待機期間の長さは会社によって異なるが、最長でも1ヶ月の場合が多い。この待機期間を短く・少なくすることが、営業や経営の手腕となる。
なお、派遣先の選定や交渉を、A社のアサインされる社員が自ら行うことは通常の業務外行為であり、契約上問題となる可能性がある。


つまり、営業さんからお仕事の話をいただけない限り、働かずしてお給料を受け取れる。人類の理想状態。すごいやばい!


さて、入社してから2ヶ月。わたくしぶり、未だ待機。
営業さんからのお声がけもなく、部長には「案件がなくてごめん」と謝られる日々。
さすがにそわそわして、社の資料を眺めていたところ、同じく待機状態の社員が全社で約700名いるという事実に、魚はひっくり返った。あれ、魚の裏表って、同じでは…?

入社時点のIRで見られる情報なので、いかに流し読みしていたか、思い知らされた。
それから、会社の経営状況の見方や、株式について学び、人並みに読めるようになるため、がんばった。


いつの間にか待機者チームのメンターになり、待機者の方との1on1や、自主的な勉強会主催などをするようになっていた。

中には、「働かなくても給料もらえるの、最高!ずっと待機がいい!」という方々もいた。その場は笑っていたし、確かにそうなんだけど……自分的に、何もしないのは、何もできないのと同じことに感じて。時間を重ねるごとに、心が罪悪感と悔しさでいっぱいになっていった。


そのうち、同じような不安を抱える新卒の方々から、副業の相談を受けることが増えた(副業をしていることをオープンにしていた)。

「もう、待機が1年になるんです。他の会社に行った友達は、毎日楽しそうに働いているのに。自分はずっと何もしていない、何もできない、何かやらなきゃ、って不安で……」

と、心を開いてくれる、ビデオ通話でさめざめ泣く若い女の子に対し、自分は何ができるだろうか…と。
内心はあたふたしながら、集団講師時代を思い出していた。

授業中にパニックで泣いてしまう、傷を抱えた生徒さんとお話した時の記憶をなぞりながら、慎重に、丁寧に言葉を選んで、なんとかかんとか1on1を頑張っていた。


退職決意

頑張っているうちに「あれ、まためっちゃ話す仕事しとる?というかわたし、共感しすぎて、心がやられていませんか?」と急に冷静になるタイミングがやって来た。

そういう時は、他人の脳を借りる(友達に相談する)のが吉だ!と思い、同じくSESに勤める競プロerの友達に、とってもおいしいラム肉ラーメン をすすりながら、事情を話した。
その後もらった「転職するリスクと、転職しないリスクがあって。ぶりさんは後者の方が大きいと思う」という言葉が決め手になり、再びの転職を決意した。


部長との面談で、退職の意思を伝え、待機の方々のチャットにも「わし、退職するやで!ラストデイまで、好きに1on1入れてくれよな!」の旨を投下した。

あっという間にカレンダーが埋まって、たまげた。

人の名前でいっぱいになったカレンダーを眺めながら「この会社でやれたこと、ちゃんとあったのか」と、やっと思えて、ちょっとだけ泣いた。


その夜、退職の伝え方の相談に乗ってくれた友達と「退職祝いじゃ〜!!」って、めっちゃビール飲んだ。
川の魚(見えていたのか?)に「まあまあ、あなたも飲みなさいよ」と話しかけていたことは、なんとなく覚えている。


翌日からラストデイまで、いろんな人と、たくさんお話した。
フリーランスのこと、副業のこと、クリエイター業のこと、休職や退職のこと、たまに人生のこと、などなど。

力になれたかはわからないけれども、「ありがとう」をもらえるのは嬉しかった。


そんな感じで、初正社員経験は、4ヶ月で終幕した。


ちなみに、伝え方が良かったのか、抱えていたかなしさとは裏腹に、退職は平和に進んだ。
度重なる引き留めにも、丁寧に、落ち着いて応じられた。
やっぱり断るのは苦手だけれども、友達からの言葉を胸に、がんばった。

後日、母と高尾山を散策しながらその話をすると
「すごいじゃん。入社前に『目標は、平和に辞めること』って言ってたの、叶えたんだね」と言われた。
そんなんさっぱり忘れていたし、忘れても叶えていたことにびっくりした。

平和に辞められるように、落ち着いて人間関係を構築し、仕事を適切に行う。という意味だったので、それができたのかは、正直、自己評価だけではわからない。
仕事というか、業務、できなかったし。

関わってくださった方々が、いま、どうか楽しくお仕事できていますように。


再びのフリーランス

2024年7月。下半期をスタートした無職(ぎりぎり、フリーランス)。

正直、転職活動をすぐ開始する気にはなれなかった。
約半年の間に、親族が3人急逝したのもあって、ちょいと一息つきたかった。


しかし、仕事をしないと、おいしいものを食べられない(暴論)。
そして、おいしいお酒をいっぱい飲みたいです。よろしくお願いします!

ということで、長らくお世話になっている委託元さん方に「正社員、やめました!仕事量、戻せます!」と意気揚々と連絡。
ストレートに「嬉しい!!」と喜んでいただき、Webだけでなく、動画やデザインの仕事もいただけた。
そんな神々に、遠慮なく甘えた。


甘えたので、夏は、フェスにライブに酒に旅行に、遊びまくった。
とっても楽しくて、良い夏だった。


ただ、何もしてないとヤヴァな気持ちになるので、
友達が紹介してくれた、神父のような導き系転職エージェントさんに、定期的に相談をした。
企業の見方、選び方、面接や書類の作成ポイント、面接練習などなど……。

1回目の転職、砂漠を丸肌で歩いていたようなものだったな、と、じわじわきた。
服を着せてもらって、食料や水の用意の仕方を教えてもらって…って気分だった。

結果的に、企業さんを紹介していただいたり、間に入ってもらうことはなかったものの、最強のサポートを受けた。
この方がいなかったら、今でも内定がない状態だったと思う。とっても感謝している。


再びの転職

9月のとある日、paizaを そっ と開くと、おしゃ〜れなロゴからの「気になる」が目に留まった。
文化・クリエイティブ系のメディアを運営している会社さんの、エンジニア職だった。


運営されているメディアの記事を読みに行って、「これは…!」と、衝撃を受けた。

ライターさんからも、インタビュアーさんからも、勇気や知性、敬意を感じるし、
インタビューを受けているのは、好きなアーティストばかりだし…

読めば読むほど、信念の強さに引き込まれていった。


実は、夏に遊びまくってる間、1社だけ応募をしていた。
作っているものに感銘を受けて、勢いで応募。
残念ながら、ポジションクローズとのことで、爆速お祈りメールが来た、その会社さんを見つけた時の感覚を思い出していた。


よく「好きなものは、仕事にしない方が幸せ」と言われているし、わたしが音楽を仕事にしていないのも、音楽を好きでい続けたいから、ってところがある。
(専属コンポーザーの依頼をいただいたとき、断ってしまった。)

なんというか、クリエイトがプロモートに、作る意図が「自分のため」ではなく「聞いてくれる人のため」になってしまったら、今のような「好き」でいられる自信が、あんまりない。


だから「好きなものと近くで戯れながら、別の仕事をする」という選択肢があることを、見落としていた。
想像すると、なんとなく心地良かった。


実際に会社を訪問した時も、「クリエイター気質の人々の中で、文化的なものの近くに居ながら、エンジニアとして制作をする」という、ナード気味な自分にとって、この会社でどういう生活を送るか?を、想像しやすい環境だった。
想像が易いことは、不確定の不安を減らし、安心の種になってくれた。


カジュアル面談と内定者面談も含めると、合計6回、約2ヶ月間。
毎回とても丁寧に、じっくりお話をさせていただいた。

面接中に「自分は、綺麗なコードを書くことに自信がある」と、新たな発見ができたり、そのことに対して「エンジニアにとって、それは一番大事なことだと考えています」と、絶大肯定をいただいたりもした。


そんな感じで、並行して選考を受ける企業もなく、一対一で、穏やかに、着実に内定をいただき、10月末に承諾をした。

1回目と2回目の転職の仕方が真逆すぎて、ちょっと面白かった。


転職に競プロを使ったか?論

1回目の転職活動では「算数知識が何もないところから1年で茶色になった」のエピソードを、かなり…というか、ほぼ毎回話した。てへ。

けれども、2回目はそのエピソードを、全く使ってなかった(なんなら話すのを忘れていた)。

ただ、paizaでランクSになったのは競プロのおかげなので、ランクのおかげでスカウトが来たのであれば、紛れもなく「競プロを使って転職をした」と言えるかな。


これから

この選択が正解なのかは、棺桶に足突っ込むまでわからんので…とにかくまずは、目の前にあることをがんばる。

2回の転職活動を振り返ると、 判断基準は一般論でなくとも良い のかな。と思ったりした。

でっかくて安定している企業だから良さそう、とか、勢いがあるから良さそう、って基準も、わかりやすくて良いのだけど……でっかくて安定している牛久大仏、好きだし。

例えば、面接の中で「大事にされているなあ」とか「社食めちゃうま!毎日食べたい!」みたいな、その場所で自分が良い人生を送れる実感をキャッチする、そして掴んだら離さないための準備を、これからもしておきたいな〜と思った。

ちなみに、New社の社食、無料な上にめちゃうまらしい(わくわく)


改めて、相談に乗ってくれた方々、本当にありがとうございました!
そして、いつも支えてくれる友達、本当に、本当にありがとう。


大学選びの基準を「学食のおいしさ」にして正解だった!
と何度でも言う、食いしん坊のぶりより。

おなかすいた…

高校3年〜大学4年の5年間でコピーした曲一覧

ボーカル

ギターボーカル

ギター

  • グループ魂: パンチラ・オブ・ジョイトイ、君にジュースを買ってあげる
  • Cocco: カウントダウン、小さな雨の日のクワァームイ
  • downy: 酩酊フリーク、左の種
  • EGO WRAPPIN': 色彩のブルース、くちばしにチェリー
  • FC FiVE: Tone River JAM2010のオープニング、Dawn brake、A thousand shames、stolen things
  • LOST IN TIME: きのうのこと、列車
  • RIDDLE: another wish,another future、blue、accelerator
  • toe: I dance alone、繋がる遥か彼方
  • 中島美嘉: glamorous sky

ベース

ベースボーカル

  • The Innocent: Time Letter、Close To Me、Sweet

ドラム

ドラムボーカル

  • 住所不定無職: ラナラナラナ、マジカルナイトロックンロールショー、あの娘のaiko

シンセサイザー

合計

96アーティスト 193曲

ALL耳コピ なんてこったい!

私の嫌いなセルフライナーノーツ|解放迷路 - 片山さゆ里 cover

 

前置き

どうしてって、作品を個々人が楽しめるのは「余白があるから」だと思うのです。

 

いやたぶん、それだけだと、説明の言葉が足りない。

 

私たちはみな、経験も細胞も信念も違う個体たちであり、捉え方も感触も何もかもが別個で。言葉や傷の痛みがあっても「100%分かり合う」なんて不可能だ、って。

作品は「わからせる」ために作るんじゃなくて、一人ひとりが作品にフィットするような「なにか」を余白として内包している必要があると、そしてその余白が想像力を掻き立て、瞬発的な「共感」と成り、愛着が湧くのだと思っています。

 

違う言葉にすると「解釈はあなた次第」であるべきだと、いうポリシーが、ある。

 

私は、音楽も絵も、こういう脈絡のない手記も、受け取る側に解釈を委ねる。こわさもたくさんあるけれども、それは創作者としての勇気と、背負うべき運命だと思っている。
その分、普段の生活は人間関係対応を失敗しないように、怯えてにこにこ暮らしている。対人体力の負荷は、元気でなんとかやってるよ。

 

そう、例えば、私が作った曲を聴いてくれた誰かが、歌詞の中に見つけた凶暴さを私の全てだと解釈して、私をそういう人と思ってしまう。それはもう、仕方ない。

作品の楽しみ方がもったいないなあ、とは思うが。
だって、作品と、それを生み出す人間の人格は、それこそ別個なので。

 

話を戻します。

 

とにかく、作品の解釈を押し付けるような「セルフライナーノーツ」というのが、まあまあ、嫌い。

 

だけど「もっと知りたい」の想いも、最近知ってきた。

ならば、求められてなくとも、用意だけしておいて、求めた人がすぐに手に取れるようにしといてもよいのでは?と、考えました。
きっと「解釈を押し付けるもの」じゃなくて「解釈を広げるもの」にも、なり得る。

 

何よりも、これを書こうと、掻き立てられたのは

3/28(木)、片山さゆ里ラストライブ後、トリビュート参加曲の転調についてさゆゆと話していたときのこと。


ぶり「転調が多くなりすぎて、作るの大変だったー」

さゆ「私の歌が下手だからだね」

 

な、なにを言っているのだ…?

 

耳を疑った。誰だ、彼女にそんなこと思わせるきっかけ作ったのは?

いつもなら「すまんな、わたしの曲作りが天才的すぎるために」などギャグを飛ばすけれども、そう思ってしまった彼女を受け止めたくて、そして、ショックで何を言っていいかわからず、お口チャックミッフィーちゃんになった。

 

なにも言わないことで、そんな悲しい勘違いが生まれるならば。なるべく書いておきたいと、思った。残しておいて、いつでも誰かが見られるように、なんて、偽善を抱えたんです。

 

原曲について

youtu.be

歌詞載せていいかわからないので、耳コピのやつを一旦載せる。怒られたら消します。

 

蹲り曲がった背筋を伸ばして 少しだけ気が晴れるような痛み
内緒で囲った魚も逃して あなたに布かける春の光

二度と戻れないから 燃やして

ここで置いていくの 洗いざらい灰に変えて
歩こう 歩こう しがない心は
揺らぐまま 濁った目を洗っておいで

全て許せる夜は まだ
気持ちで頷いた
さよなら

ここで忘れるの 洗いざらい灰に変えて
歩こう 歩こう しがない心は
揺らぐまま 濁った目を洗っておいで

おそらく彼女の1stミニアルバムでしょうか。処女作なのでしょうか。のタイトル曲です。
弾き語りverはこれ

youtu.be

初めて聴いた時のこと、今でも覚えている。
真っ暗なライブハウスなのに、強く青空に光が差していた。さゆゆ、金髪やったし。

 

トリビュート参加経緯

アルカラという、我々が敬愛してやまぬバンドがいます。
私とさゆゆ、お互いが出会う前から好き。長い。

私がアルカラに出会った時とかもう、傷だらけの捨て猫フシャー状態でした。
暴力性とか凶暴性を、このバンドに優しく昇華してもらった。
好きなバンドTOP3を聴かれたら、必ず入れるバンド。

そんなアルカラが、2023年8月、対バンを募集企画をやってくれた。え?
しかも、オリジナルバンドだけではなくて、コピーバンドも。は??

「やろう」と、さゆゆの予定も聞かずに募集URLを送った。

 

その時に出した曲のダイジェストがこちら(記事書きながら速攻作った。荒くてごめんなさい)

www.youtube.com


MOROHAとアイドルやろうぜ!!!という謎すぎるテンションで行った。どうして?

もちろん選考からは落ちました。そして、アルカラの稲村さんから直接、ただのファンには勿体無い、素敵なメールをいただきました。
一生の宝物だし、葬式の時はプリントアウトして棺桶に入れて欲しい。

 

この時、私に沸いてしまった、カバー欲求。

実はこれを録音したのは片山さゆ里作品集④を録音した直後。まじで直後。我が家の宅録スペースで「お疲れ様〜!」をやった、直後。極限。
※片山さゆ里作品集③〜⑤は、我が家で宅録しています。録音ミックス担当でございやす。

 

そうして、彼女の弾き語り音楽人生の終幕を聴いた時、つい、言ってしまった。

 

「トリビュート企画、やってくれん?(投げやり)さゆゆが私に歌ってほしい曲を、歌うよ」

 

「解放迷路でお願い。あなたの声の伸びやかさが聞きたい」

 

もちろん!

 

セルフライナーノーツ〜2024年1月

2024年1月1日。
多分私はこの時、競プロのやりすぎかなんかのやりすぎてフワッフワしていた。そしたら、ゆらゆらした。世界が。

 

北陸の震災が、起きた。

 

さゆゆが富山県に帰っていることは知っていた。
うん年ぶりの年末年始帰省だ、って喜んでた。頭が真っ白になって、考えすぎて、考えすぎて「大丈夫?」を、送れなかった。
送ってしまったら、返す義務を抱えさせてしまうから。

 

そして何よりも、絶対に大丈夫だって、信じていた。

 

1月末、楽曲制作に取り掛かった。
原曲を聴きながら浮かんだのは、燃え盛る震災地の風景。

あなたに布かける春の光

二度と戻れないから 燃やして

ここで置いていくの 洗いざらい灰に変えて

とてもじゃないけど、歌えなかった。
涙が止まらなくて、声が出なかった。

 

そして、先延ばしにした…

 

セルフライナーノーツ〜2024年2月

私は就職前に、2週間かけて西日本と北海道を巡り、全都道府県埋めをしていました。


運転中、暇で暇で仕方なかったので、たくさん考えた。
これからのこと、今までの失敗、自分のこと、誰かのこと、あなたのこと。

 

そして、頭の中でアレンジを固めていった。
あとは帰って、このぐちゃぐちゃな気持ちと、それでも「歩こう」と強かに繰り返すあのうたを、誰もが聞けるように外に出そう。この頭の中と、心の底から。

それが、私にできる、精一杯の北陸への追悼だった。

 

帰宅してから、作曲のために1日を空けた、が、ここからが地獄だった。

 

はて。己が天才すぎて、転調のコードがわからない(ちなみに、いまだにわかっていない)

 

というか、なんでこんなにテンポもコードも変わるの?どうしてそうなったの??

本当、単純で「感覚的に、各セクションが一番気持ち良いテンポと、自分の声の伸びが一番良いキー」をただただ選んだだけ。そのツギハギをどう行うか。というか本来行うべきではないものを、繋げるという謎作業だった。

 

それでも、作らなきゃいけなかった。
誰かのためじゃなくてさ、自分のために。

 

「トリビュート企画、やってよ」を叶えてくれた、今日で終わりを迎えた、大好きな友達、片山さゆ里が、聴いてくれた時の反応が欲しい、そんな自分のために。ね。

 

ちなみに歌はほぼ一発録音。
仮録音のつもりで勢いで録ったワンテイクがすごく良かったから、少しだけ直して、コーラスも入れなかった。一人でギター持って歌ってきた、さゆゆへの敬意として、ね。

これがリアルだよ、ぐはは!

 

そんな感じでした!

 

改めて、本当におつかれさまでした。
10年間、ありがとう。これからもよろしくね!

 

無料ダウンロードはここからどうぞ!2曲目です!

sayuyu.booth.pm

 

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ばあちゃんが死んだ話〜当日編〜

2024年1月22日月曜日 17:30頃

制作の仕事で、公開直前のサービスサイトに208個のリンク切れを見つけてしまい、テンションダダ上がりした直後。

母からのけたたましい着信で、あ、と悟った。


ばあちゃんが、死んだ
転んで、死んだ

※シャボン玉のメロディで脳内再生してください





去年の6月、じいちゃんが倒れた。

数ヶ月の入院を経て「自宅で死にたい」と、自宅療養に切り替わった。

その頃から若干、ばあちゃんがボケた(らしい。私はよくわからなかった)
どっちが先に逝くかねえ、なんて、どこの家庭でもよくある話だろうが、先にばあちゃんが弱るなんてことは考えられなかった。

ばあちゃんはいつも言ってた。
「早く死にたいよ。苦しまずにぽっくり死ぬのが、一番の願いで夢なんだもの。」





ばあちゃんは、かなりロックでクラシックな人だった。

幼少期にお父さん(私のひいじいちゃん)が亡くなり、お母さん(私のひいばあちゃん)が女手ひとつで、ばあちゃんとその妹2人を育てた。
高校卒業前に戦争が始まり、学業をやってらんない状態になるのを余儀なくされた。そういう世代。

戦争中も、終わってからも、2人の妹がいる家庭を支えるために、洋裁をしていた。
ばあちゃんちの作業机のミシンは重厚で気高く、針も「刺されたらやばい」と背筋がブルっとするような、見たことないものがたくさん並んでいた。

戦争が終わると、洋裁の道で第一人者になるため、フランスに渡ったり、ドイツに勉強しに行ったり、なんなりしていたそうだ。ちょっとうろ覚えでごめんばあちゃん…
主にピアノの発表会用のドレスを作る仕事をしていて、私と同じく、いわゆる個人事業主だった。

ばあちゃんの作るドレスは繊細で強かで、クラシカルで色がちょっとダサいけど、特にレースの使い方はまるで花畑のように美しかった。

ばあちゃんはいつも言ってた。
「洋裁なんかやりたくなかったよ。私は数学や物理が好きでね、戦争さえなければ、ずっと勉強していたかったのに。」





ばあちゃんとじいちゃんは、お見合い結婚だった。

じいちゃんは福岡で中学校の先生をしていた。担当科目は美術で、退いてからも、倒れる直前まで日本画家として活動し、数年に一度は展示会を開いていた。

じいちゃんは、九州男児、という言葉からはかけ離れた人で、ばあちゃんのプンスカをいつもにこにこしながら眺めていた。
常に丁寧にばあちゃんに寄り添って、支えていた。じいちゃんはまるで、ばあちゃんのために生まれてきたような人だった。

ばあちゃんはいつも言ってた。
「結婚なんかしたくなかったよ。私は洋裁で一人前になるために、もっと働きたかったのに。いつ離婚しようか、いつも悩んでる。」

そう言うおばあちゃんを、じいちゃんはいつだって、ゆっくりとにこにこ見守っていた。





2019年、家庭に超ヘビー級の出来事が起こり、私は家族親族全員と絶縁をした。
その中で唯一縁を切らなかったのは、ばあちゃんとじいちゃんだけだった。

正直「お金に困ったら頼ろう!」という大変に打算的な心からの行いだった(ヘビー級の諸々ですっ飛んだんだもん…)

でも、ばあちゃんもじいちゃんも、私が家族と縁を切ったことについて、一切否定も説教もしなかった。
それどころか、褒めてくれた。

ばあちゃんはいつも言ってた。
「苦労は買ってでもしなさい。絶対に力になるから。」
「私は、自立するのが夢だった。誰にも頼らないで、一人で生きていくことはとても尊いことだよ。苦労をした人にしか見えない、素晴らしい世界があるから。」


親が叶えられなかった夢を子供に叶えさせる、みたいな話はよく聞くもので、私もこの時 あっ と気付いた。
ばあちゃんが叶えられなかった夢を、私が叶えているのかもしれない。

だから、ものすごく応援してくれた。
教育に興味がない両親の代わりに、幼少期から勉強に関して、金銭的にも精神的にも応援して支えになってくれた。
白砂糖を禁止していた母の元では絶対口にできない、チョコレートや三ツ矢サイダーを与えてくれた。
講師になった時も、誰よりも喜んでくれて、にっこにっこしていた。
この年になっても結婚しない私に対して「いい人はいないのか」なんて無粋なこと、聞いてきたことはなかった。
苦しくて電話した時も、嬉しくて電話した時も「ぶりちゃんの声は、聞く人を元気にさせるから、おばあちゃん大好きだよ。今日も元気をくれてありがとう。」と、いつだって言ってくれた。

今の私で在るのは間違いなく、ばあちゃんの支えがあったからだし、ばあちゃんの血が色濃く流れているからだ。

と、ここまで書いた深夜0:42、やっと、泣けた。

ばあちゃん、死んだんだな。





「ずっと ぽっくり逝きたい って言ってたもんねえ。やっぱ言い続けると願いって叶うんだね!わはは」

母からの電話を切った後、今日この後何をすればいいのか、明日仕事で何をすればいいのか、よくわかんなくてぽやぽやしていた。
信頼できる友人達に「ばあちゃん死んだわ」と伝えながら、仕事のハドルミーティングをしながら、予定を見ながら、やることをまとめながら、何をしているのかよくわからなくなってきた。

実感もないから、悲しさもない。感情もない。
ただ「何か」が足りない。

とりあえず、カレンダーに入っている「メガネを取りに行く」を処理しよう、と、ゾフへ向かった。





無事メガネをゲットし、煌びやかな街を歩きながら、キャッチの可愛いおねーちゃんを見てふと「風俗行きたいな」と思った。
可愛いおねーちゃんとちょっとエッチな話を15分だけして、ありがと、って帰りたい。なんだその欲は?

とりあえず、温かいものを食べたい。
どんな時でも食べられるし眠れる。サバイバーが身につけた素敵なスキル。

鍋焼きうどんのつもりだったけれども、口がラーメンだったため、お気に入りのラーメン屋へ。麺が変わってて絶望した。





友達や母とはテキストで会話していたけれども、やっぱり人と、できればあまり知らない人と話したかったから、なんとなく飲み屋へ立ち寄った。
ウクライナ人の元警察官の女性がママさんをしている飲み屋。いつもお客さんが濃い。

「やっほー!またきてくれてありがと!今日はお酒飲むでしょ?」(前回はバチャ前だったから飲まなかった)

梅酒のお湯割を頼んで、甘いものが食べたーい、と頼むと、トッポをくれた。
そして ばあちゃんがさっき死んだんですよねえ と口にすると、他のお客さんも話を色々してくれた。
話しながら、遺影になりそうな写真を送ったり、不謹慎なのは分かってるけど斎場からの配信って超シュールすぎる!って笑ったりしていた。

最終的に、米国大使館の人から名刺をもらい、帰宅した(詳細は割愛)

でも、やっぱり、空っぽになりそうでこわかった。
母も私も悲しむことなく、へらへら笑ってギャグ飛ばしているの、なんかおかしいんじゃないか?





少し前に「祖父が癌になった」と泣きながら電話かけてきた友達がいた。

「僕は祖父が癌になって悲しむべきなのに、最初に出てきたのが あの書類にハンコ押してもらわないとなー だったことが、とても気持ち悪い。自分が許せない。」

その時は「尿意と便意が同時に沸いた時、どちらか片方が最初に出ますよね。つまり、どっちが先に出るかなんて、ただの運ですから。それと同じかもですよ。うんだけに。」

という、ひっどい例えで返したら、納得して笑ってくれたのだが(友達がいい人すぎるだけなので、絶対に真似してはいけません)
今ならわかるよ。


自分がかなしんでいないことが、悲しい
そして、自分が悲しむことで、誰にも迷惑をかけたくない

と同時に、実際そこまで悲しくない。だって、まだわからない。
ばあちゃん、死んだのか?





じいちゃんは知らせを聞いた時
「ありゃーそれは困った、先に逝ってしまったか。僕だけ残してどうして、急に!」
と、びっくりした後、落ち着いたら寝てしまったとのこと。


早くて明日(日付的には今日)、お通夜がある。
「数珠持ってなくね?いや、ばあちゃんの引き出しにあるからそれ使おっか」とか「1ヶ月前まで就活しててよかったー!ちゃんと黒い上下があるー!!」とか、母とへらへらし合っている私は、ちゃんと悲しめるのだろうか。自信がない。

でもきっと、先週のユニビ登壇5分前、急に緊張したように、斎場に近づいたら嫌でもわかるんだろうな。



ばあちゃんは、死んだんだ。